
「積極的不登校」は、日本社会が長年抱えてきた学校中心の価値観との向き合い方が変わりつつあることを示す象徴的な言葉です。この語が生まれるまでには、日本の教育史と不登校の長い経験、社会が抱えてきた孤立や葛藤、そして新しい学びを探ろうとする動きが複雑に絡み合っています。海外に類似した言葉は見当たらず、日本社会、文化、歴史が生み出したきわめて固有性の高い概念です。
日本で「不登校」という言葉が使われ始めたのは1960年代後半からですが、1980年代になると「登校拒否」という言い方が広まり、それは「問題行動」という認識を強く帯びていきました。当時の学校は、画一的な指導と集団の統制を重視し、多様な子どもの個性よりも、均質な学びを優先する傾向が強かったと言われます。そのため、学校に馴染めない子どもは「適応すべき側」に分類され、学校は「子どもに合わせる場」ではなく「子どもが合わせるべき場」でした。そうした背景が、不登校をネガティブに捉える社会意識を強く形づくりました。
90年代に入ると、子どもたちのメンタルヘルスや学校ストレスへの理解が少しずつ進み、不登校を「心の防衛反応」として肯定的に見る専門家も現れました。しかし、社会一般にはまだ「学校に行かないのは問題であり、早期に登校を促すことが最優先」という風潮が根強く残っていました。2000年代に入って状況はさらに揺らぎ、不登校の児童生徒数は年々増加し続けます。それでも教育現場や行政対応の多くは復帰支援を中心に組み立てられ、学校に戻ることがゴールであるという構造は大きく変わっていません。
こうした歴史の延長線上で、不登校という言葉には否定的な影響が強く染み付いてしまいました。家庭は学校に戻さなければいけないというプレッシャーにさらされ、子ども自身も行けない自分を責める状況が続きました。不登校は現象であるはずなのに、日本社会では問題のラベル付けに利用されたのです。その言葉が持つ重さをひっくり返そうという動きから生まれたのが、「積極的不登校」という考え方でした。
複数の研究者や組織が連携して育まれたキーワード
なお「積極的不登校」という言葉が広がった背景には、教育評論家・尾木直樹氏(尾木ママ)の発信が大きな役割を果たしたとされています。尾木氏は「不登校は問題ではなく、子どもの安心を守るための積極的選択である」と述べ、テレビや書籍を通じてこの言葉を社会に浸透させました。
とはいえ、この言葉は一人の提唱者が突然生み出したものでもありません。長年にわたり、不登校を否定せず子どもの主体性を尊重してきた実践団体、登校拒否・不登校の子どもたちの親の会、フリースクール全国ネットワーク、NPOなどの取り組みが思想的基盤をつくりました。また複数の教育研究者の理論も、「不登校は健全な自己防衛である」という考え方を支えてきました。
この言葉が意味するのは、「学校に行かない」という行動をマイナスではなく、必要な選択や安心の回復に向けたプロセスとして肯定的に捉える視点です。子どもが学校に行けないのではなく、行かないことを選び、自分の身を守るという主体的行為として理解し直す立場を指しています。この逆説的な表現が力を持ったのは、日本の教育文化ゆえです。もともと学校が「唯一の教育の場」であるかのように扱われ、その枠から外れることが大きな不安と罪悪感につながる社会では、不登校を肯定するために積極的という強い言葉を必要としたのです。
海外と比較すると、この固有性はさらに際立ちます。欧米諸国では、学校に通わない選択肢は珍しいものではありません。家庭教育(ホームスクール)、非学校化教育(アンスクーリング)、オンライン学習、オルタナティブスクールなど、多様な学び方が制度としても文化としても受け入れられています。そのため、「学校に行かないことを肯定する」というための特別な用語が生まれる土壌自体が存在しません。学校は選択肢のひとつであって、行くか行かないかで子どもの価値が左右される社会でもありません。つまり、「積極的不登校」という言葉が必要なのは、学校が強く中心化された日本だけなのです。
日本では、明治以降の教育制度が「学校=教育の中心」という思想を強固に形成してきました。義務教育の義務を「就学義務」と捉える風潮も強く、親も教師も「学校に行くことが当たり前」という前提から自由になりにくい構造があります。この制度的・文化的背景が、不登校を“異常”として扱う下地となりました。その結果、学校に合わない子どもは「適応できない側」に置かれ、社会の理解が追いつかないまま孤立しやすい環境が続いてきたのです。
ところが近年、不登校の増加がこの価値観に大きな揺さぶりをかけています。文部科学省の調査では不登校児童生徒数が36万人を超え、もはや「個別の問題」として片づけられない規模に達しました。これにより、「学校に行かないことをどう肯定するか」「学校以外の学びをどう認めるか」という社会的議論が始まり、そこで改めて登場した概念のひとつが「積極的不登校」です。この言葉は、不登校の意味をひっくり返し、学校中心の価値観そのものを問い直すための言語的フレームとして広がっています。
積極的不登校という言葉が持つ豊かな意味
積極的不登校は、単に「無理をしないで休もう」というメッセージではありません。それは、子どもが自分のペースで学びや生活を立て直すための時間を尊重し、そのプロセス自体を肯定する思想です。「学校に行くかどうか」という二択ではなく、「子どもにとって何が最適な環境か」という視点に学びの軸を移す考え方とも言えます。この視点の転換は、ホームスクールやフリースクール、オルタナティブ教育への関心の高まりとも深く結びついています。つまり、日本でも「学校だけが学びの場ではない」という新しい常識が育ちつつあり、その端緒を開く概念が積極的不登校だったと言えるでしょう。
海外にほぼ同義語が存在しないことを考えると、この言葉が持つ日本特有の文化的意味が一層鮮明になります。学校に行かないという理由で子どもが罪悪感を抱く必要のない社会へ、保護者が「行かせなければならない」という圧力から解放される社会へ。そして、学校以外の学びが自然に認められる社会へ。その橋渡しとなる言葉が積極的不登校なのです。
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本の教育は、いま大きな価値観の転換点に立っています。学校に行くことが唯一の正解ではなくなった時代に、積極的不登校という概念は、多様な子どもたちの学びを支えるための重要な土台になりつつあります。この言葉が広がることによって、学校に合わない子どもが置き去りにされるのではなく、別のルートを選びながらも自分らしく成長していける社会が少しずつ形になり始めています。
(EDICURIA編集部)
