
「インクルーシブ教育」(Inclusive Education)という言葉があります。性別、国籍、文化的背景、経済状況などに関係なく、すべての子どもが同じ学びの場で教育を受けることを目指す教育理念です。また障害のある子どもたちを特別な環境に隔離せず、健常な子どもたちと同じ教室で学ばせることで、互いの存在を理解し共感を育むことを目指しています。
この取り組みは、障害のない子どもたちにとって、多様性への理解や社会的包容力を育む機会となります。また障害のある子どもたちにとっても、健常な子供たちとの交流を通じて社会性を高めたり、自分の可能性を広げたりすることが期待されます。
理論上はインクルーシブ教育の目的は非常に意義深いものです。運動会や文化祭といった行事において、障害のある子どもたちが一緒に参加することで「違いを超えて協力する楽しさ」を共有することができます。また日常的に共に過ごすことで障害を特別視せず、自然に受け入れられる姿勢を育てることができます。
すべての子どもが幸せになるわけではない
しかしインクルーシブ教育の実践には課題も多く、すべての子どもがその環境を快適に感じられるとは限りません。障害のある子どもたちが「みんなと同じ教室で学ぶこと」により、逆にストレスや孤立感を感じてしまう場合もあるのです。
例えば、自閉症スペクトラム障害を持つ子どもの場合、大人数の教室や集団行動に対する刺激が強すぎて、落ち着きを失ったり、不安感を抱いたりすることがあります。
インクルーシブ教育の理念を尊重しつつも、「すべての授業や行事を一緒に行う」という一律の対応は、現実的に無理があることが少なくないため、教育現場では個々の子どもの特性やニーズに応じて柔軟に対応することが求められます。
障害のある子どもでも問題なく取り組める活動は、可能な限りみんなと一緒に行うべきです。その際、適切な支援を提供し、子どもが「自分もできた!」という成功体験を得られるようにすることが大切です。
一方で、集団での活動や勉強が明らかに苦痛を伴う場合は、その状況を無理に押し付けるべきではありません。その代わり、個別に配慮された環境で活動を行ったり、特別支援を提供することで、その子どもが「楽しい」「学びたい」と思える状況を作り出すことが重要です。
障害のある子どもたちを特別視するのではなく、「どうすればお互いが心地よく過ごせるか」を健常者の子どもたちに考えてもらう機会を設けることも効果的です。これにより、インクルーシブ教育の理念である多様性の尊重を深めることができます。
インクルーシブ教育の理想は、多様性を尊重し、すべての子どもが自分らしく生きる社会の実現にあります。しかし現実の教育現場では、すべての子どもにとって快適で効果的な学びの場を作ることが簡単ではありません。そのため、インクルーシブ教育を無理に推進するのではなく、一人ひとりの特性やニーズに応じた柔軟な対応が求められます。「みんなと一緒に学ぶ」ことがその子にとって本当に幸せなのか――その視点を忘れずに、子どもたちの個性を尊重した教育を目指していくことが、真のインクルーシブ教育と言えるのではないでしょうか。
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- 保田典子
筑波大学医学専門学群卒業。小児科医として国立病院などで診療にあたり、小児循環器を専門に経験を積む。その後、発達障害児を多数担当するようになったことで「子どもの心相談医」の資格を得る。2021年4月、高円寺駅そばに高円寺こどもクリニック開業。